本稿では、フランス南部ニーム近郊にある古代ローマ帝国時代に建造された巨大水道橋:ポン・デュ・ガール(Le pont du Gard)とそこへの行き方を紹介します。

はじめに
 現在のフランスがある地域と北イタリアは、ローマからはガリアと呼ばれ紀元前2世紀から1世紀のころにローマの属州になりました。ガリアにゲルマン人が侵入したのを機にローマのカエサルがガリアを平定し、ガリアはローマ化が進みました。その後、ローマ帝国の反映とともに水道や軍事目的の街道が張り巡らされていったのですが、2000年以上経った今も形をとどめている建造物があります。イタリア以外の国々でローマ的なものを巡るという歴史探訪は、ローマ帝国の当時の勢力や技術力を感じることができて賢くなった気がする(?)ので、グルメやショッピング以外の旅のテーマ設定が欲しいなという人には、その一つとしてお勧めです。
今回はリヨンにグルメ旅をしたときに、そこから南へ足を伸ばし訪れた、ローマ帝国が残した巨大水道橋を紹介します。

アクセス

レンタカーを利用していない場合、そこへは公共交通機関で行くことになりますが、最寄りに鉄道路線は無く、近郊の街であるニームかアルルかアヴィニョンからバスで行くことになります。ここを訪れようという方は、恐らくはニームかアルルかアヴィニョン(あるいはリヨン)を拠点に観光することになると思いますので、このあたりのバス路線図と時刻表を見ながら、無理の無い周遊プランを練りましょう。スマホやネットが不調な場合を想定して、バスの路線図や時刻表は事前にネットで落として印刷して持っておくのをお勧めします。印刷物があると周りの人の助けを得やすくなります。

<2019年8月17日時点の情報です>

アヴィニョンからだと、Edgardが運営するA15路線のアヴィニョン中央駅のバスターミナルから(PEMと書かれています。写真参照)アレス(ALES)行きに乗り、Rond Point Pont du Gard で降ります。参考のため2019年8月当時の時刻表を貼っておきます。

切符は乗車時に運転手から買いました。(行き先、往復か片道か、人数を言えば買えます。)

乗車時間はだいたい50分です。目的地までの経路は地味なプレートが示してくれていますが、周りの観光客について行けば良いです。Google Mapで経路確認するとバス停から30分と表示され、なかなかの真夏日だったのでそんなに歩くのかとギョッとしましたが10分くらい歩くとビジターセンターがあって、そこで小休止できるので、遠かったなぁという印象はありません。突如目の前に出現する巨大な世界遺産に圧倒されて、もっと近づきたい!と、元気が出て歩くペースが速まります。

このときは、9:30くらいにビジターセンターに到着し、橋の両サイドから上に登ったり、橋の下の川をゆっくり散策してのんびり過ごしました。その後、ビジターセンターでランチと休憩をして、帰りは同じ停留所からアヴィニョン行きのバスに13:20に乗りました。だいたいそれくらいの時間を見ておけば良いでしょう。帰りのバスの時間を見てもっと滞在時間の短いプランでも良いでしょう。ちなみにビジターセンターでできる食事は、サンドイッチの類い程度です。 かなりの田舎なので決して便数の多くないバスを逃すと他の交通手段に困りそうなので、帰りのバスの時間を念頭に何時に発つべきか管理しましょう。

<2022年2月13日時点の情報>

EdgardからLioに運営が変わっているようで、EdgardのWebサイトは開けず、代わりにLioのWebサイトで路線を調べることができました。上記の路線は115番(ALES – AVIGNON )になっていました。 停留所名は同じでした。 LioのWebサイトからダウロードした路線図と時刻表を貼っておきます。

ポン・デュ・ガール(Le pont du Gard)について

ニーム(Nimes :ガロ・ローマ文化の都市)

ニームは紀元前120年にはローマの都市の一つとなっていました。住民は温泉に行き、円形劇場でのショーに参加していました。そんな20000人以上の住民を抱えるニームは、ガリア帝国にあった都市の中では当時最大の都市の1つになっていました。

大きな橋はニーム市民の水のため

ローマ人は巨大水道橋をニームの上流にあるユゼス(Uzes)のウール(Eure)の谷から水を運ぶために建てました。 橋の頂上ではぶ厚い防水の石が敷き詰められ、非常にわずかな傾斜によって、谷の一方の側からもう一方の側に水を送ることができました。 橋はガードンと川にかかっていますが、その橋の上を水が通過していました。

紀元前40年から60年の間に、ニーム市民によって建てられました。橋は写真のとおり3層からなり、下層は6つのアーチからなり、中層は11のアーチ、そして水を流す上層は47のアーチからなります。高さは48.77mにもなります。 現存するローマ水道橋としては最も高い橋です。

これだけ、大きな橋を山中に作り、遠くから水を運ぼうというのですから、さぞ水不足だったのかと思いきや、ニームはそうではなかったといいます。豊富な地下水資源があり、容易に掘り出すことができたため、人口が増えても水には困っていなかったのです。しかし、市民はニームに水を運ぶために水道橋の建設を決めます。

なんと、水道橋の建設は彼らが自分たちの街の威信と豊かさを示す目的のためだったのです。

水道の長さは50km

ローマ人は、ニームの北に直線で25kmほどのところに水源を見つけたので、そこから水を運ぶことにしました。 長さ50kmにも及ぶ石の水道でほとんどが地下にあり、ポン・デュ・ガールは、これらの素晴らしい作品のリンクの一つなのです。

なぜ50kmなのでしょうか。

ユゼスにあるウールの水源は海抜71mで、ニームは海抜59mですが、二つの街の間には海抜200mの高原があるため、水道をまっすぐに引くことはできません。水道は迂回する必要があったのです。

エンジニアは、1キロメートルあたり平均25センチメートルの傾斜を維持するために、水道は曲がって迂回する設計とする必要がありました。 水源から都市までの長さを水が流れるのに24時間から30時間かかっていたようです。斜面を保全するための最適なルートを計算しても、克服すべき障害がまだありました。 回ることができない丘を通過するために、ローマ人はトンネルを掘りました。 谷を渡るために彼らは橋を架けました。 その橋がポンデュガールであり、ガードン川をまたぐその橋は、47メートル上にある水路を通すために必要なのです。

出典:Le pont du Gard et les aqueducs romains (ISBN-13 ‏ : ‎ 978-2375910177)
出典:Le pont du Gard et les aqueducs romains (ISBN-13 ‏ : ‎ 978-2375910177)

ポンデュガールの建造期間は5年

ポンデュガールが建てられるまでに5年かかりました! 橋を建てるには多くの異なる仕事が必要でした:石のブロックを抽出する人々、石を切る人、それらを調整する石工、そしてアーチを維持するために木のフレームを作る大工…合計 、橋を完成させるために800から1000人の労働者が必要でした!

出典:Le pont du Gard et les aqueducs romains (ISBN-13 ‏ : ‎ 978-2375910177)

水流に抵抗できる橋

ローマ人は、ガードン川が大洪水を起こすことに注意を払いました。 構造物の安定性は、その重量によって保証されます。 ポンデュガールの重量は50000トン、つまりエッフェル塔の5倍と推定されています。 ローマのエンジニアは柱の支柱の下に、水の流れを遮断するためにカットウォーターを配置しました。

ポン・デュ・ガールがこれほど長く続いたのは、自然の力に耐えることができたからなのです。

建設

橋の石のブロックをよく見るとローマ数字が刻まれています。番号は、構造内の各ブロックの正確な配置を示すために使用されました。 ブロックは、橋から600メートル上流の採石場から切り出し運ばれました。 正しい寸法にサイズが決められ、番号が付けられてから、ボートまたは陸路で建設場所に輸送されました。

水の利用

ニームでは、そもそも潤沢な水資源がある上に、更に山から自慢の水道インフラで運んだ水を何に使っていたかというと、次のとおり、現代と変わらない使い方をしていたことが分かってます。

すべてのローマの大都市と同様に、ニームには街の広場や通りにたくさんの噴水がありました。 純粋に装飾的な目的でしたが、貧しい人々が水を汲むのにも役立ちました。一方、裕福なローマ人は家に水道を引いていました。 弱いながらも水圧があり現代のような水道があったようです。

街には、スパがあり、ローマ人はしばしばここに来て、話したり、入浴したり、健康を維持したりしました。 スパには、さまざまな温度のいくつかのスイミングプールもあったといいます。

この他、陶芸家、石工、クリーニング屋も、仕事をするためにたくさんの水を使っていました。

2000年も前ですが、現代と変わらぬ生活ができ、それを支える技術力があったのですね。

巨大な建造物に感嘆し、川辺に降りてのんびりもできます。ビジターセンターや博物館では当時の技術力や生活の様子を学ぶことができます。 紹介記事を書いていると、また行きたくなってきました。

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